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けんかえれじい

けんかえれじい
高橋英樹
けんかえれじい
定価: ¥ 3,990
販売価格: ¥ 3,990
人気ランキング: 34146位
おすすめ度:
発売日: 2002-11-22
発売元: 日活
発送可能時期: 通常24時間以内に発送

昭和初期、岡山中学の南部麒六(高橋英樹)は「喧嘩キロク」とあだ名されるほどの喧嘩好きがたたり、放校処分となって会津に転校。下宿屋の娘・道子(浅野順子)に想いを寄せつつ、その地でも腕っぷしひとつでのし上がっていく麒六の、豪快で破天荒な青春像を描いた鈴木清順監督の傑作。
時にナンセンスなユーモアに包まれながらもダイナミズムあふれるアクション描写と、思春期のさわやかなリリシズムとの共存。その一方で、一瞬だけ登場する北一輝を象徴とする暗黒の時代への示唆も忘れてはおらず、それでも喧嘩一筋の道を突き進んでいく麒六の姿に観る者はカタルシスを覚える。若き日の高橋英樹の代表作の1本。可憐というたとえがぴったりなヒロイン浅野順子は、後に大橋巨泉夫人となり芸能界を引退した。(的田也寸志)

死ぬまで何度でも見たい作品
いったい、この映画を何度見たことだろう。そしてまた、これからも何度も何度も見ていくことだろう。そのとき、やはり清順映画の最高傑作は「けんかえれじい」なのだと確認することだろう。清順映画は、どんな映画でも、何度見ても新たな発見と感動がある。発見と感動の対象は、物語であってもいいし、役者の演技であってもいいし、カットや構図、絵の美しさであってもいいだろう。
「らぶれたあ」のピアノと十字架、「刺青一代」の群集や襖、「悪太郎」の純愛と横移動のカットの繰り返し、「河内カルメン」の土手--などなど、ありとあらゆる清順映画の宝石が、「けんかえれじい」にちりばめられ、それはまた、未来の清順映画にも投げかけられるのだ。

続きが観たかった!
どなたかご存知であれば、教えてください。予告編には、浅野順子が会津に会いに来るシーン(ラストではなく)があるのですが、本編にはなかった。かつて、映画館で観た時にはあったと思うのですが、どうなのでしょうか。
日活としては<けんかシリーズ>として続編をつくる予定だっだそうですか、何かの理由で中止になったとのこと。つくづく残念でたまりません。
桜と喧嘩が実に美しく楽しい青春映画です。

青春ドタバタ喜劇の傑作
けんかに明け暮れる一方で、初恋の少女に恋焦がれる昭和初期の青春。この映画は、荒々しいながらそれでもかわいらしいけんかの対極に、同時代の青年将校によるテロが存在していた、とほのめかす。すなわち、2.26事件もただのけんかだと強烈に批判しているのである。
と、内容についてはまとめられる。でも、印象に残ったシーンをひとつ。それは、高橋英樹が好きな女の子が愛用するピアノの前で自分の恋心をひとり確かめるのだが、でも、彼が手も触れていないのに、ピアノの鍵盤がひとつ「ポーン」と鳴るシーンだ。彼の役は、自分の体のどの部分で鍵盤を弾いたことになるのか、よく考えてほしい。思春期に恋心が性の目覚めと微妙に結びついていることをさりげなく示す名シーンだ、と思う。しかし、高橋は、当時、若き女性たちのアイドルだっただろう。彼女たちから見ると「汚れシーン」でしかないものをよく演じたものだ。
これは、映画俳優とテレビ俳優とのちがいをも示しているようで興味深い。往年のアイドル主演のテレビドラマ・シリーズでのやさしいお父さん役で有名な俳優が、「いつも同じような役ばかりで退屈しなかったんですか」というトーク番組のホストの問いにこう答えた。「テレビの役者はイメージを大事にしますから」、と。つまり、極端に図式化して言うと、テレビの役者の多くはイメージを大切にし、できるだけ善人役を演じ、あわよくばCMに出演してお金を稼ぐことを目的とするのに対し、映画の役者の多くは、基本的に脚本で「いい作品」だと納得しさえすれば、作品のあとに自分に残るイメージは気にせずに、どんな役でも引き受け、どんなシーンでも演じる。
そう、ぼくは、『けんかえれじい』の高橋英樹から映画俳優の芸術家肌を感じたのだ。

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