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神々の深き欲望

神々の深き欲望
三國連太郎
神々の深き欲望
定価: ¥ 4,935
販売価格: ¥ 4,935
人気ランキング: 24937位
おすすめ度:
発売日: 2004-07-23
発売元: ジェネオン エンタテインメント
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素晴らしい!
この時代の今村昌平を語るならば、大島渚、吉田喜重、岡本喜八、増村保造、実相寺昭雄、若松孝二、鈴木清順等の作品群を見た上で語って欲しい。本作品も大島渚「儀式」増村保造「氾濫」と並ぶ傑作である事がよく解る。人間の醜さ、根源が写し出されている。当時の性模写は若松孝二「天使の恍惚」、実相寺昭雄「曼陀羅」等の作品群からみれば、解りやすく気楽に見られる。今村昌平の作品は難解か?吉田喜重「エロス+虐殺」「煉獄エロイカ」、岡本喜八「ああ爆弾」、鈴木清順「殺しの烙印」からくらべれば解り安い。テーマの重さならば、大島渚「飼育」増村保造「清作の妻」「赤い天使」程過激ではない。

60年代の今村昌平
 わたしが映画青年になりたての60年代末には、今村昌平は既に
高名な映画作家でした。それは、『にっぽん昆虫記』、『人類学入
門』そして本作と、この時期連打された彼の作品群が、虚脱状態に
なった60年安保以降の精神状況にある可能性を発信し続けていた
からだと思います。つまり、それまで重視されてこなかった人間社
会での性や生理をリアリズムで描き切ることで、新しい歴史動因の
所在を暗示していると受け止められたのでしょう。ただ、これらの
作品群、映画としては重喜劇を志しており、映画としての面白さは、
それが達成されているかどうかに係ります。
 その点では、主人公(左幸枝)が実の娘(吉村実子)に出し抜か
れ、愛人を奪われる『にっぽん昆虫記』はともかく、主人公(小沢
昭一)と成人した愛人の息子(近藤正臣)達との関係が不鮮明な
『人類学入門』や、一度は島の娘と契った技師(北村和夫)が、そ
のことを忘れたように忠実な会社人間として再登場する本作は、滑
稽さが足りず、わたしはいまひとつ興をそそられませんでした。少
なくともこの時点の今村は、師匠格の川島雄三を超えていなかった
と思います。
 なお、当時彼とフェリーニを対比した批評(倉橋由美子「映画対
文学 市民対庶民」)を目にしました。今思うとこれも的が外れて
います。同じネオ・リアリズモの系譜で探すなら、イタリア人のエ
ートスを掘り下げていたヴィスコンティこそ対比の相手として相応
しかったのではないでしょうか。

1960年代の神話としての沖縄??太陽と海の存在感が強烈
 沖縄の離島を舞台にした、一つの神話である。太陽と海の存在感が圧倒的である。そして、その海と太陽に、黛敏郎の音楽がマッチして居る事は、驚きである。と言ふより、『豚と軍艦』もそうであったが、黛敏郎の音楽が、今村昌平監督の映画にマッチして居る事は、黛敏郎と今村昌平監督が、政治的には近いとは思えないだけに、驚くべき事である。
 物語は複雑で、正直言って、私には良く分からない所が有る。??ちょっと、『砂の女』に似た所が有るかも知れない。??そして、この映画で描かれる南方の離島が、言葉を含めて、沖縄の文化を正しく反映した世界であるかは、大いに疑問である。しかし、1960年代の日本の知識人が、沖縄にいかなるイメージを持って居たかを回顧する為には、興味深い作品と言えそうである。言い換えるなら、1960年代の一つの神話として観るなら、この映画は、それなりに興味有る作品だと、私は、思ふ。(だから、余り真剣に見ない事である)又、好き嫌いは有るだろうが、この映画の性描写は強烈な物で、1960年代の日本映画に、こんな性描写をする映画が有った事は、若い人には、驚きなのではないだろうか。

(西岡昌紀・内科医)

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